『俺が嫌われるのは、変わっているからなのか?』
私杉間馬男は何度そう思ったことか・・・
そして、この記事を読んでいるあなたも、同じ悩みを抱えていることと思います。
しかし、変わり者であることが直接嫌われる理由になっているかというと、決してそうではありません。
そのことは、杉間馬男の経験から断言できます。
ただ、嫌われる人が多いのは事実ですね。。
そういう事実から、
変わり者=嫌われる
という図式が、多くの人の頭の中にインストールされてしまっているんです。
さて、今回のこの記事では、変わり者が嫌われる本当の理由や、好かれる人との違いなど、私の実体験を交えながら解説していきます。
隠キャ、アスペ、コミュ障などの変わり者男性が嫌われる理由
最低限の協調性がない
『協調性』とは、
互いに協力し合うこと。
(出典:goo辞書)
という意味です。
知っている人も多いことですね。
協力というと、わかりやすい例えを出すなら、童話『おおきなかぶ』。
幼少期に親に読み聞かせてもらった人も多いでしょう。
詳しいストーリーは省きますが、お話の登場人物はみんなかぶを抜くために葉を同じ方向に引っ張りますよね。
それも立派な協力で、おじいさんもおばあさんもみんな協調性を発揮したから、最後にはかぶが抜けました。
つまり、2人以上の人間が同じ目的に向かって行動することですね。
逆に、協調性がないとは??
『おおきなかぶ』の例でいうと、
- 『こっちのほうが効率がいい!』といって、別の方向に葉を引っ張る
- かぶを引っ張らず、応援にまわる
- かぶが抜けた後のことを見越して、かぶ料理の食材の準備をする
- 『抜けるわけがない』と、最初からあきらめる
考えだしたらキリがありませんが、自己流の協力のしかただったり、そもそも協力することを拒否したりすることですよね。
そして、変わった人に多いのが、自己流の協力のしかたで”協力しているつもり”になっているというパターンです。
これがなかなか厄介なんですよね。
協力することを拒否するパターンは分かりやすいんですが、自己流の協力は一応善意があるので、周りの人たちも困ってしまうんです。。
私もそういうパターンは何度かあったんですが、圧倒的に多かったのは、
頼まれてもいないことをやって自己満足する
ことでした。
バイト先でもよく言われました。
『お前は言われたことだけやっていろ!』
と。
先ほどの『おおきなかぶ』の例だと、
”かぶが抜けた後のことを見越して、かぶ料理の食材の準備をする”
というのが近いですね。
そういう行動も、やった本人は協力したつもりなんですが、周りにとっては役に立っていないんですね。
行動・言動が自己中心的
自己中は、嫌われる人の1位、2位を争うぐらい強力な嫌われポイントです。
簡単にいうと、”自分さえ良ければいい”という考え方の人のことですね。
わかりやすい具体例を出すと、
どれも、『自分が目立ちたい』『自分だけ発散したい』などですね。
ただ、こういう例は極端ともいえるのでわかりやすいんですが、私の経験上、どこからが自己中になるのかの線引きが分かりにくいボーダーラインの行動があります。
同じ行動でも、人によっては許せるけど別の人にとっては気に障ってしまう。
そういうわかりにくい行動がたくさんあるんです。
私の場合、中学生の頃の文化祭の出し物の準備のときに、担任の先生から『自己中心的だ!』と言われたことがあります。
文化祭の出し物は個人では決してできないようなデカいものを展示するので、何人かで分担して作業します。そして、その中で誰が何をやるのかもハッキリ決めていました。
私は集中して何か取り組むことが非常に得意なので、2~3日ほど作業を続けていると早くも終わりが見えてきたのです。
そして、4日目ぐらいで自分の作業が終わり、『俺の担当が終わったから、帰るよ。』と一言断って帰宅しようとしたら、同じ場で作業していた同級生からブーイングを喰らい、気を悪くして先生に密告し注意されたのです。
その時、叱られた意味が全く分かりませんでした。
自分の担当分はしっかり終わらせたし、帰宅するときも一言断ったし、自分としては何も悪いことはしていないつもりでした。
そのとき、あまり作業が進んでいなさそうなメンバーに『何か手伝うことない?』と声をかけてあげなさいということだったそうですが、当時の私にはそれが思いつかなかったし、何より予めそういう指示もなかったのです。
しかし、そのときの文化祭とはまた別の行事で出し物の準備をしている時、私の例ではないですが、他の同級生が『俺の仕事終わったからバイバイ!』と言って帰っているのを見かけました。
私が注意された行動と同じパターンですが、それ以降彼が嫌われたりした様子はありませんでしたし、むしろ皆から支持されているようでした。
同じような行動でも反応がぜんぜん違う。
非常に厄介ですよね。。
その差が出るのには色んな要因がありますが、いちばん大きく関係するのは
その人のパーソナルパワー
です。
・・・
パーソナルパワー??
専門用語っぽいので簡単に説明すると、その人の人間的な強さ・信頼度のことで、よく『株が上がった/下がった』と言われる”株”のことです。
普段からどれだけ良い行いをしてきたか、その行動によってどれだけその人のファンがいるのかでパーソナルパワーの強さが決まります。
要は、”何をやったか?”ではなく、”誰がやったか?”で自己中かどうかの判断が分かれてしまうんです。
非常に不公平ですが、これが現実。
学校行事の出し物の話に戻すと、私の場合、
- クラスの人気者ではない
- 部活も幽霊部員で、『きちんと参加しろ!』と普段から注意されていた
- 文化祭以前にも自己中心的な行動で注意されたことが多々あった
一方で、同じ行動をした同級生の男は、
- 部活動も懸命に打ち込んでいた
- 普段は相手のことを気遣ったりできる
普段の行動が全然違います。
はじめに”変わり者だから嫌われるわけではない”と言ったことに対して少し矛盾しますが、私と同じアスペの人は特に周囲に関心がない傾向なので、ちょっとした行動が自己中と判断されてしまいがちなんです。
ただ、隠キャでもコミュ障でもアスペでもない普通の人でも自己中心的な人はたくさんいますから、『この人、自己中だな…』と思う人を反面教師にして、そういう行動に注意するようにしましょう。
迷惑をかえりみない
さきほど説明した自己中と重なる部分も多いですが、他人の迷惑を考えないのもかなり嫌われるポイントです。
上のイラストのように、最近自撮り棒が流行っていますが、自分が撮りたい風景に夢中で棒をブンブン振り回しているような様子も迷惑をかえりみない行動といえます。
これも別に変わり者かどうかは全く関係なく、全ての人がやってしまい得ることです。
そこでまた厄介なのは、迷惑をかけている加害者が気付いていないことが多いことです。
紹介したイラストの例でも、棒を振り回している人は別に悪意を持って振り回している訳ではなく、風景を撮るのに夢中になり過ぎて周囲の人の存在に気付けていないのです。
先ほどの自己中の場合、大半のパターンはその人なりに何となく『良くないことなんだろうな…』と気付けているんです。
しかし、こういう迷惑行為は、全く悪意がないことも少なくありません。
なら、迷惑をかけてばかりの嫌われ者とそうでない人の違いは?というと、やはりどれだけ周囲に目配せしているかが違います。
もう少し自分に焦点を当てて言うならば、
どれだけ自分を客観視できているか
ということです。
上のイラストも、私達が見ると『迷惑だな…』と気付けますよね。
そんな風に、自分の行動を外から見るような意識が大切です。
以上、大きく3点紹介してきましたが、どれも変わり者特有の理由ではないことが分かりますよね。
変わり者ではない普通の人、リア充の人でもあり得るような理由ばかりでした。
好かれる(嫌われない)変わり者と嫌われる変わり者との違い
個性が強くて変わっていると思われている人でも、好かれる人・嫌われる人に分かれます。
好かれる(嫌われない)ためには、前の章で説明してきたことの逆の行動をすればいいことになんですが、この章ではさらに具体的行動のパターンを増やす意味で、好かれる/嫌われる人の違いを詳しく見ていきます。
道徳的かどうか
小学校の授業でもありましたね。
数年前は、道徳を教科にするかどうかでも議論になっていました。
私は小学生当時、道徳と国語の違いが全く分からなかったのです。
ひたすら教科書のストーリーを読んでいるだけだし、ゴリゴリの理系だった自分にとってはどちらもつまらなかったですね。。
すこし脱線しましたが、道徳(モラル)とは簡単にいうと、良いことをして悪いことをしないということです。
つまり、人間として当たり前のことをしましょうということです。
具体的には、
- 決められたルールを守る
- 人・動植物を傷つけない
それこそ誰でも知っているようなことばかりです。
ただ、それができていない人が意外に多いんです。
道徳的なことができていなくて嫌われるパターンの代表例として、
時間にルーズ
というのがあります。
遊びやイベントの約束をしても、決まって遅刻してくる人っていますよね。
遅刻してくる人は『これぐらい大丈夫だろう』と思っている場合が多いですが、周りの立場で考えると、やろうとしていたことが進まないし、遅れた分終わるタイミングも遅くなってその後の予定に支障が出たりなど大迷惑です。
ただ、これはあくまで道徳的・当たり前のことですから、それができたところで人気者になって好かれるということはほとんどありません。
なので、
道徳的なことを守る=最低限嫌われないための無難な行動
ということです。
ミスを認め謝れるか
これもほとんど道徳的な部分なのですが、悪いことをした時、ミスをした時に素直に謝ることができますか?という説明になります。
あなたが幼稚園児や小学校低学年生のとき、親や先生から口すっぱく言われた人も多いでしょう。
それぐらい当たり前のことなんですが、道徳的な行動の中で”謝罪する”ということができていない人はいちばん多いといってもいいくらいです。
例えば、先ほど話した時間にルーズということでも、
- 5分遅れてきてシレッとした態度の人
- 10分遅れてきたけど、何とか間に合わせようと大量の汗をかいて走って来て、息を切らしながらひたすら謝る人
私の経験でも、そういう風に遅刻した後の態度が全然違うことがありました。
当然、印象は全く違いますよね。
これも道徳的なことなので、できて当たり前、できなければマイナスポイントになることなんですが、できない人が非常に多いので謝ることができるだけでも若干好かれる要素になります。
つまり、それができれば今ならオトクなので、これまでできていないと感じている人は無意識でもできるように努力しましょう。
相手のことを考えているか
- 相手のことを考えられる
- 相手を思いやれる
道徳的なことから一歩進んだことで、これこそが好かれるための王道的な行動です。
わかりやすい具体例として、ドアを開けて通してあげるケースがあります。
特に、相手が両手に荷物を大量に抱えていて自力でドアを開けられない時、代わりに開けてあげるという行動です。
正直、そういうことは簡単で誰にでもできることですが、受けた側にとっては結構助かるしありがたいんです。
これは、『ドアを自分で開けられなさそうだな…』という相手の立場に立った行動ですね。
そういう行動は他にもたくさんあるので、逆にあなたがされて嬉しかったこと・助かったことを思い出してみてください。
それを相手にしてあげるのです。
好かれるための行動、考え方
前の章とも重なることが多いですが、この章では好かれる人に絞って、そういう人たちが普段どんな考えを持っているのかを詳しく説明していきます。
なので、この章で説明することは、これまで説明してきたことのまとめということにもなるので、しっかり頭に叩き込んでみてください。
そもそも、人間関係って?
たった8秒で好き嫌いが決まる!
これまでは具体例から先に説明してきましたが、そもそも人間関係ってどういうものなのか、説明できる人は少ないんじゃないでしょうか。
結論から言うと、
人間関係=好きか嫌いか
です。
なんだか冷たい言い方ですが、好きか/嫌いかで人間関係の95%以上を語ることができます。
2人の初対面同士の人が顔を合わせた時、8秒で第一印象が決まると言われています。
(出典:京丹後市社会福祉協議会)
その8秒間で、お互いの見た目と話し方を見ています。
見た目のほうはぶっちゃけ、好みのタイプなのか?清潔感はあるのか?
そこを見ますよね。
話し方でも、
- なんかこの人、上から目線な話し方だな…
- ハキハキ話してて堂々としていそうだ
など、暗に好きか/嫌いか、自分にとって受け入れられるか/そうでないのかを決めてしまっています。
当然、長く関わっていくうちに意外な一面を見てその後逆転することはありますが、初対面8秒で好き嫌いを判断してしまうのです。
逆に、見た目や話し方で『好きとも嫌いとも思わない』と感じたことはあるでしょうか?
思いだしてみると分かるように、そういう経験はまずないと思います。
- たまたま自宅に宅配に来た配達員
- 銀行の窓口の係員
- コンビニの店員
最低8秒間だけでも関わった人は、あなたの中で無意識に好き嫌いを判断しているはずです。
好きでも嫌いでもない人がいるとすれば、その人は一切関わったことのない人のことです。
人間関係=お互いに関わる意義の共有
人間関係=好きか嫌いか
と説明しましたが、それをもう詳しく説明すると、
お互いがつながり合うことに意味があるのか?
です。
同性・異性関わらず、あなたがいちばん仲良くしている人を思い浮かべてみると分かると思いますが、なぜその人と仲が良いのか説明できるでしょうか?
多くの人は無意識だと思いますが、
- 一緒にいて自分がラク
- この人となら自分の全てをさらけ出せる
- 自分が困った時、真っ先に助けてくれる
などなど、その人とつながることで自分が恩恵を受けられるからなんですね。
ただ、自分が恩恵を受けるばかりではその人と仲良くなれません。
あなたもその人に対して、その人が喜ぶようなことをしてあげる必要があります。
そのことが、見出しに書いた”共有”ということなんです。
お互い、一緒にいてwin-winだから仲良くなれるわけです。
それが人間関係の基本、というよりもほぼ全てになります。
相手に与えまくる
人間関係は、好き嫌い。
人間関係は、メリットの共有。
前節ではそういう基本の話をしましたが、もうひとつ、人間関係の代表的な言葉に、
ギブ・アンド・テイク
という言葉があります。
結局それもメリットの共有という意味で、自分が受けるだけでなく与えることもしていきましょうということなのですが、杉間馬男の経験上、それは半分正解で半分間違いなんです。
ギブ・アンド・テイクを意識するのは大切なんですが、それを考え過ぎると、
『自分が与えた割に、相手はあまり何もしてくれない』
と思うようになり、”嫌い”という感情がジワジワ出てき始めてしまいます。
自分が”ギブ”すれば、必ず同じ分量の”テイク”が返ってくると思ってしまうと危険だということなんですね。
事実、そういう類のトラブルってけっこう多いです。
なので、ギブ・アンド・テイクではなく、ギブ・ギブ・テイク。
好かれている人って、とにかく相手のためにしてあげることを自分から進んで行動していますよね。
一度、あなたの周りの好かれている人をよく観察してみてください。
見返りを求めない
先ほどの、ギブ・アンド・テイク⇒ギブ・ギブ・テイクの続きですが、究極は無償の愛。
つまりは、テイクを一切求めないことです。
自分は与えるだけ与えて、相手からは何の見返りも求めない。
もうここまで来ると、修行僧やマリア様など、悟りの境地というイメージですよね。
正直なところ、これができる人はいないでしょう。
自分の子供に対してですら感情的になったりすることもあるわけですから、見返りを求めないことがいかに難しいことかが分かります。
そんな難しいこと、ここで説明するなよ!!
と思うかもですが、そういう人が好かれるのは事実ですし、好かれている人は極力見返りを求めていない人が多いです。
もちろん、全く求めていないかというとそうではありません。
いきなりこういう悟りの境地に入るのは非常にハードルが高いでしょう。
私だって、こういうことはまだまだできていないほうです。
ただ、この記事を読んだあなたは少しずつでいいので、
- 相手に与えまくる
- 見返りを求めない
ということを意識して行動してみてください。
きっと、周りの反応が変わると思います。