はじめまして。
私のブログにお越しいただき、ありがとうございます。
改めまして、杉間馬男(すぎま うまお)といいます。
20歳の時に初めて付き合った彼女に24日でフラれ、その後活動するも30歳まで童貞という結果に甘んじていました。
ネットでは30歳過ぎて童貞だったら魔法使いになれるとかなんとか言われていますが、さすがに魔法使いにはなれず(笑)
晩婚化と言われるこの時代、その上自分は変わり者で負け組だから、ヘタすれば40代中盤ぐらいで初婚か?
と思いきや、予想より10年以上早い31歳で結婚。
その後男の子を授かりましたが、ほとんどストレスフリー。
自分にとって、ほぼ理想と言える結婚生活を手に入れました。
世間の男性の間では、
- 『結婚は墓場への入り口…』
- 『子供ができたら旦那の序列順位は最下位…』
など、結婚後は逆に不幸になるようなことが言われていますよね。。
だけど、私はそういうウワサに反して、今でもある程度好きなことをしているし、それを妻からたしなめられることもありません。
このページは【運営者情報】と題して、私杉間馬男がどんなヤツなのかをお伝えしていくとともに、失敗談から恋愛成就したエピソードを10分弱で一挙に話していきます。
もしかしたら、このページを読むだけで恋活・婚活成就に向けて何かをつかめるかも知れません。
それぐらい濃厚なものをお伝えしていきますので、ぜひ最後までお読みいただければと思います!
※前半は私の生い立ち話が中心です。
タネも仕掛けもない読み物ですので、『恋愛の失敗談~』から読んでみても良いと思います。
杉間馬男の生い立ち
世間を知らず生きづらかった幼少期~学生時代
物心ついた頃から人との交流に違和感
私は今でこそ、自閉症スペクトラム障がい(旧:アスペルガー症候群)という診断がくだり、自分がどんな変わり者なのかを言葉で説明できますが、生まれた当時、まして大人の発達障がいという言葉さえなく、自分は周りと変わらない人間だと信じて疑いませんでした。
私が初めて人が集まるコミュニティに放り込まれたのは4歳の頃。
それまでずっと親元を離れたことがなかった私は保育園に通い始めました。
その当時はまだ下の兄弟はおらず、それまで好き放題させてもらってたのが、保育園では自分の主張や希望なんかは当たり前に通らないんですね。
そういう環境の変化に戸惑ったのを覚えています。
今思えば、人間社会へ出るのが遅すぎました。
人間関係弱者になってしまったのは、生まれつき持っているハンデと、そういう幼少期の生い立ちも関係していたと思います。
また、その頃から周りの友達と交わることに違和感を感じていて、建物のすみっこに隠れて物思いにふけったりしていました。
保育園児時代の最大の事件は、さびしさに耐えきれずに無断で勝手に家へ帰ったことでした。
親が送り迎えをするのが鉄則なので、翌日先生にこっぴどく叱られたことはよく覚えています。
私の具体的行動
そして、小学校にあがってからはさらに周りの同級生との違いが浮き彫りになって、それが原因で笑われたりイジメられたりしていました。
具体的にどんなことをしでかしたかというと・・・
- 同級生宅に招かれたことが2回あり、いずれも途中でつまらなくなって断りも入れずに帰宅した。
- 小学校2年生ぐらいから地名などの難読漢字に興味を示し、父親の友人が読めなかった漢字を指摘したことがある。
- 同級生の誕生日会に招待されたが、何かプレゼントを持ってくるという常識を知らず手ぶらで参加しブーイングを喰らった。
『誕生会=楽しいこと』という図式があったのに楽しくなくなり、隙を見て誰にも断りを入れず勝手に帰宅した。 - 悪気なく人を物理的に傷つけたり、持ち物を壊したりしていたため、それまで仲良く遊んでくれていた同級生も気を悪くして、別の同級生とつるんで私をイジメた。
- 小さい頃から電車が好きで、この学年になると『電車ごっこ』という表現は幼稚臭く、よくつるんでいた友人と『電車隊』というチームを作って遊んでいた。
活動範囲も校区外どころか隣の市や県にまで及ばせ、自転車に行先表示板をつけてアナウンス付で走っていた。 - 自分にとって都合の悪い妄想をよくしていて、何か嫌な予感がするたびに『どうせ○○なんだろ!』と被害妄想的な発言をよくしていた。
- 周囲の人間を極端に鬱陶しく感じていた時期があり、肩を触られるなどするとまるで汚いものに触れたかのようにパンパンと手で払いのけていた。
- 眉毛やまつ毛を抜いてその毛根をじっと眺めるのにハマっていたことがあり、それをやりすぎて眉毛がなくなり同級生にからかわれていたことがあったが、恥ずかしいとは感じなかった。
- 授業中の机の配置は一つひとつ教壇に向かっているのが一般的。
だが、小学校高学年の頃は数人の机を寄せ集めて島の形にしており、それがとてつもなく嫌だった。 - 同級生に対する呼び方もオーソドックスに『~くん』『~さん』と呼んでおり、あだ名で呼んでいたのは1人だけだった。
- 小学校6 年間、それなりに楽しいことはあったが総合して満足だったとはいえず、卒業アルバムに記入する自分の好きな言葉には、『卒業』と書いた。さっさとこんなところから卒業したい!という願望が強かったのだ。他の同級生らは『友情』など、ごく一般的なものが多かった。
- 中学校に入ってから最初の泊行事のバスの中で歌った歌が大ウケしたことで歌うことが好きになる。
翌年の修学旅行でも同じことをやって、何曲も歌っていたら同級生に『杉間くん、もういいよ』と言われて赤っ恥をかいた。 - 遅咲きのミニ四駆にハマり、自分はそれをカッコイイと思って学校に持ちよりチラ見せしていた。
当時、高校生だったのでさすがにバカにされている雰囲気を感じ、見ず知らずの他科の同級生に後ろ指を指され続けていた。
自分がイジメられたりバカにされたりしたことって、どれだけ時間がたっても覚えているものですね。
こんな具合に、年齢相応の常識を知らなかったり、相手の気持ちを考えなかったりで次第に周りから浮いていき、同級生とはだんだん学校ありきの付き合いだけになって、ほとんど決まったひとりの友人としか遊びませんでした。
その友人とは、私と同じように同級生から浮いた存在で、私が彼と遊んでいるのを目撃された時は、『アイツとは遊ぶな!バカがうつるぞ!』などと言われていました。
実は彼も、大人になってからADHD(注意欠如・多動性障がい)と診断されています。
今思えば、私と彼とが20年以上もつるんで来れたのは、子どもながらにしてそういうところで共感したのかも知れません。
一方で、人に勝てるところも!
ただ一方で私にも誰にも負けない得意なこともあり、先ほど紹介した地名などの難読漢字もさることながら、算数も好きでスピーディーかつ正確に計算問題を解くことができていました。
また、工作でも作品をキッチリきれいに作ることを得意としていて、中学校の技術科ではその才能を存分に発揮していました。
算数・数学をはじめ理系科目を得意としていましたが、それに限らず学校の勉強はわりかし嫌いではなく勉強の成績は上のほうにいて、特に高校時代は賞を獲ることもあったぐらいです。
そのため、入学受験に失敗したのは一度のみで、受験やテストで苦労した事はまずありませんでした。
就職後、学業成績が良い≠優秀の事実を知り衝撃
学業成績が優秀だった自分に反し、父親は高校を中退してタクシー運転手。
それでも母親を働かせず我々3人の子供を育てていけるぐらいの力があったわけです。
自分は先生からも一目置かれていたように感じていたので、確実に父親は超えられると考え、職に就いたあとの将来も楽観視していました。
その考え方が間違いだったとはつゆ知らず・・・
学校では勉強を頑張って良い成績を取ることが○とされていて、それをバッチリやりこなしていた私はすっかり学校での”勝ち組”になった気だったんですが、就活をする段階で、成績以外の自分の実力を思い知ることになったんです。
いちばんの鬼門は面接。
受け答えしている途中、自分でも何を話したいのか分からなくなって話があちこちに飛ぶクセがあり、
コミュニケーション能力がネック!
と言われて不合格になるパターンが大半でした。
成績も良いのに…
必要な資格も持ってるのに…
そういう能力を持ってしてもカバーしきれないほどコミュニケーションがひどい有様でした。
当時大学4年の21歳。
その年齢にして、人間社会で生き抜くためにはコミュニケーション・意思疎通がキーポイントであることを初めて知りました。
いくら勉強ができても・・・
難関大学を卒業しても・・・
権威的な資格を持っていても・・・
少なくとも会社員で食っていくには、コミュニケーションスキルとは切っても切れません。
そんな私でもなんとか無事に就活を終え、卒業後はSEの職に就くことになりました。
就活のときにあれだけ思い知らされましたが、希望通りの職種だったため、今のままでも何とかなるだろうとタカをくくっていました。
しかし、いざ仕事に就いてみると、
- 頻繁に飲み会があったり
- 転勤が当たり前だったり
- 自分の仕事だけしてればいいわけではなかったり
自分が思っていた会社生活とは全く違うものでした。
特に、新入社員や若手時代は飲み会や社外イベントにほぼ強制参加。
仕事よりもむしろそっちのほうが苦痛でした。
あまりに自分のスタイルと合っていなかったので、いっときは転職を考えたぐらいでした。
責任ある職位に就いて以降
自分の大きな弱点
おそらく、いや絶対に自分はサラリーマンには不向きでしょう。
じゃあ、なんで会社で働くのか?
それは生活のため。それだけです。
生活という人質があったから、10年以上も続けられたんです。
仕事の内容自体はぶっちゃけ面白い。
元々好きな分野だから、それなりにやりがいはあります。
ただ、他人と関わらないといけないのが苦痛…。
本当にそれだけでした。
サラリーマンって、ある程度勤続年数重ねたらそれなりの職を与えられるわけで、あるとき、プロジェクトのリーダーを任されることになったんです。
リーダーですから部下を抱えることになりました。
自分にとっては、
『管理をしてればいいだけだから、むしろラクになるんじゃないか?』
と、これまたタカをくくっていました。
だけど、それが私の人生の中で大きなターニングポイントになるのでした。
そして、リーダーを任されて数カ月。
プロジェクトが思うように進みません。
環境的なことや仕事自体の難易度などの原因もあったと思いますが、いちばんの問題は私にありました。
自分にも与えられた仕事があったからそっちに集中しすぎ、部下たちの業務内容や進み具合などほとんど把握していなかったのです。
リーダーや上司って、そういう立場だったんだ・・・
自分の考えが甘かった・・・
自己管理力には自信がありましたが、他人に関心が持てなかったので他人の管理が全くできなかったんです。
リーダーとはマネージャー。
マネージャーとはマネジメント(管理)。
部下の仕事にも責任を持たなくてはいけなくて、それができなかったもんですから定期的な報告会ではいつも口をつぐんでばかりだったのです。
部下には、『何かあったら報告するように』と普段から言っているにも関わらず、自分が集中しているときに声をかけられたりしたら、露骨にイヤな顔をしてしまってたんですね。
それじゃあ、話しかけたくなくなるのも当然ですよね。
発達障がいと診断
そんな芳しくない状態が長く続き、とうとう私もメンタル不調をきたしてしまうことになりました。
心療内科へ通い、その時の状況を説明すると、
『言いにくいですが、もしかしたら大人の発達障がいなのかも知れません。』
と、精神検査を勧められました。
そして、34歳の夏。
正式に自閉症スペクトラム障がい(旧、アスペルガー症候群)と診断がくだりました。
それまで自分は普通の人間だと信じていたんですが、その傍らでちょっと特殊なのでは?という疑いも少しだけありました。
なので、意外とショックではありませんでした。
『ふ~ん、やっぱり何か持ってたんだ』っていう感覚。
今まで人間関係のトラブルが絶えなかったことや、恋愛でも上手くいかないことが多かったこと、他人に関心がないこと、集中を阻害されることを極端に嫌うこと、・・・
ほぼ全ての変わった行動がこの診断によって説明がつくようになったから、むしろスカッとしました。
そして、救いだったのはそのときすでに結婚していたこと。
まぁ、婚活中にそれがわかったとしても、自分にとってはそこまで痛手ではありませんでしたが。
”生い立ち”まとめ
以上が杉間馬男という人間の全貌です。
- 杉間馬男って、本当に変わったヤツなんだな
- いやいや、俺のほうが変わってるよ!
色んな感想があると思いますが、何よりいちばん伝えたかったのは、
普通の人間じゃなくても人並み以上に幸せになれるチャンスはある!
ということ。
画面の前のあなたは、
- 今まさに、イジメに遭っているかもしれない
- 友達がいないかもしれない
- 恋活していて全く実っておらず、疲れを感じているかもしれない
- それどころか、周りの男たちにいい所を持っていかれてばかりなのかもしれない
おかれている状況も多種多様だと思います。
私は、それらをすべて経験してきました。
変わり者だから、コミュ障だから、アスペだから、隠キャだから、いじめられっ子だから、・・・
今まで自分に起きたことは全く関係ありません。
それは断言します!
逆にクラスの人気者や勝ち組・モテ男なんかでも、その後の動き次第では奈落の底に落ちてしまうことだってあり得ます。
そういう”逆転劇”も、少なからず見てきました。
恋愛の失敗談と私の反省
ここからは、私の恋愛・結婚に関するストーリーです。
前の章までは私がどんな人間かを知ってもらいましたが、正直退屈でしたよね(笑)
だけど、これ以降は自伝を語りながらもできる限り恋活・婚活成就につながるヒントも含めていきますので、じっくり読んで頂けるとうれしいです。
初めての交際経験が大きな糧に
私に初めて彼女という存在ができたのはハタチの頃。
最近、20代でも彼女いない歴=年齢の人はゴロゴロいるので、今思えば初恋は早かったんじゃないかなと思います。
相手は同じバイト先に努めていた高校2年生、アサリ(仮名、16歳)でした。
はじめにも書いたように、アサリとは24日という超短い交際期間で手をつないだことすらなく、当然カラダの関係もありませんでした。
女性とひとくくりにいっても、一人ひとり全然タイプが違います。
多種多様な女性がいる中でアサリはちょっと難しいタイプの女子で、短期間であれどアサリと男女関係だったことがその後の自分にとって大きな成長材料になったんです。
なれそめ
私がバイトし始めて3~4年ぐらいした頃にアサリが新人としてやって来ました。
実はアサリの第一印象はあまり良くなく、暗くて陰気な感じで彼女からは愛想を感じませんでした。
そんなアサリと引っ付くキッカケになったのが、1歳年下の男・マサヒロ(仮名)でした。
ある日、バイトが終わってマサヒロとしゃべっていたら、
と、話の流れから言われました。
それまで恋愛とは無縁で、見た目にも無頓着。
本当にサイドバーの自画像のような見た目をしてたのに、アレをタイプだと言ってくれたわけです。
そして、男って”タイプ”だの、”好き”だの言われると『ポッ…』となっちゃうモノで、アサリに対する印象もその時を境に急上昇。
知らず知らず、私もアサリのことが気になり始めました。
アサリに告白⇒交際
そうこうしているうちにマサヒロづてで連絡先を交換するや否や、アサリから頻繁にメールが来るようになりました。
聞くところによると、その時アサリは同じ学校の野球部員に告白し撃沈したばかり。
そこで自分はこう考えました。
逆の立場なら、たとえ2番手でも自分が良いなと思ってる相手から逆にアプローチされたらかなり嬉しいですからね。
それ以後は自分のほうからも積極的にメールを送るようにしてみると、はじめのほうはかなり嬉しそうな様子が伝わってきました。
そして、告白も自分からしてあげれば相手は自分にトリコになるだろうと考え、夜景の見えるロマンチックな場所へ誘い、
と、始めに好きになってくれたお礼も込めて想いを伝えました。
一応、答えとしてはOKでそのまま付き合うことになったわけですが、自分の想いを伝えた時、アサリはなぜかちょっと困った表情を浮かべていました。
その理由は後から分かったのですが、その時は『なんでだろ??』ぐらいにしか感じませんでした。
ミス行動の連発
それからというもの、何せバイト先が同じなわけですからアサリの愚痴がバイトメンバー伝で私の耳に入ってきて、
など、もっと積極的にキテ欲しいようなことをこぼしていたんです。
積極性が足らないんだな・・・
愛情が伝わっていないんだな・・・
女子と付き合ったのもこれが初めてだったし、どうしていいか分からないことも多かったので若干放置気味だったモンだから、単純に私はそんな風に考えました。
なので、それを聞いてからは毎日自分からメールをしていましたが、なぜかあまり反応は良くなく、いつも1往復半でメールが終わっていました。
まだ俺の愛情がちゃんと伝わってないのか・・・?
そう考えて、さらにもっともっと自分の気持ちを伝えようと躍起になったんです。
そんなある日、アサリの学校が修学旅行で海外へ行くという話を聞き、それならば出発する空港へサプライズで見送りをしようと思い、出発時刻に間に合うように空港へ行きました。
アサリのほうも自分の存在に気付いて頭を下げてくれましたが、私が近づいていくと周りの友人がドン引きしてパニクらせてしまいました。
あまりに突然だったのでアサリも焦って、私に『帰って!』と言ったんです。
サプライズは逆効果でした。。。
わざわざ空港まで出向いて見送ってくれたら、自分だったら嬉しいはず。
しかしアサリにとっては迷惑だったのかも知れません。
数日後、帰国予定日の夜になってもアサリからは全く連絡はなく、サプライズで見送りをしたのがアダになったんだと焦って、とにかく連絡がつくまでアサリにメールや着信を連発しました。
ようやく電話がつながるも、『今、忙しいから…』などそっけなかったのでますます不安になり、メールで、
- サプライズしたこと、怒ってる?
- 他に好きな人でもできた?
- 近々会えないかな?
など、とにかくもう自分の不安を解消したいあまりの内容のメールを送り、相手はサプライズには怒ってないし他に好きな人ができたわけでもないと答えました。
それに少し安心し、
だけど、俺がアサリに対して本気なこと、分かってほしかったんだよ。
I love Asari forever!!
とメールし、その日は床に就きました。
そしたら翌日、珍しく相手のほうからメールが入って来て、
と、目を疑うような内容でした。
意外だった失敗理由!
メールを見てすぐに慌てて電話し、一応出てくれましたが、
その一言だけで一方的に切られてしまいました。
その後、フォローするようにもう一度アサリから電話があって、
いやいや、それがワケ分からないんだって!!
悪いところないんだったら、なんでたったの24日で終わるの?
別れが寂しいという気持ちと、全然見えないアサリの本心に対するイラ立ちが入り混じった気持ちが襲いかかって居ても立ってもいられず、その日のうちに仲人(?)だったマサヒロに全てを話しました。
マサヒロは自分より年下ながら恋愛の酸いも甘いも経験していて、彼の言ったことが不思議と頭に入ってきたんです。
頭を撃たれました・・・
アサリに告白した時に困った顔をしてた理由もそれだったんだと、一気に腑に落ちました。
恋愛が初めてだった上に、自分は相手のセリフを言葉通りにしか解釈することができない特徴があって、私にはアサリが寂しがっていたように見えたので愛情を伝えようと躍起になり過ぎた。
だけどアサリはうそつきで、実際はそんなこと求めていなかったのでした。
”うそつき”というと、人をだましてやろうなど悪気がある場合が大半ですが、アサリの場合は別に悪気があったわけではないので、余計にタチが悪いんですよね。。。
だけど、そういう恋愛体質の女性が居ることを早い段階で知れたことは、その後の恋愛力を大きく引き上げることになったのでした。
見た目を鍛えてアイドル級美女から逆告白!しかし…
見た目も重要という気付き
アサリと別れてすぐ、何とかこの虚しさを埋めるために、それまで『絶対に手を出すまい!』と頑なに決めていた出会い系サイトに手を染め、メル友から会える女性を探していました。
だけど、焦れば焦るほど恋愛って上手くいかなくなるんですね。
1年ほどそういう活動をしていたのに全く実らなかったため疲れを感じ、またいつもの自分に戻っていました。
しかし、25歳のある日、遠く離れたいとこの家に遊びに行った時、当時16歳だった女の子に既に彼氏が居るという話を聞き、それがキッカケで火がついて、恋活をまた始めることになりました。
まずは見た目からということで、服装と髪型を自分がカッコイイと思うようにアレンジし、それまでブサイクだった自分でも『こんなに変われたんだ!』と驚くぐらいになりました。
それから1年も経たない頃、地元の異業種交流会に参加したときに知り合った男がセッティングしてくれた合コンに参加し、そこに居た女子の1人と付き合うことになったんです。
その子は自分より1歳年上で、参加した女子の中では一番可愛く、AKB48に居そうな風貌の子でした。
名前はサツキ(仮名)。
合コン後の連絡先交換から初デートの誘いも、いずれもサツキからのアプローチでした。
『もしかして、俺、気に入られてる?』
ちょっと、自信ありました。
そして、2回目のデートの時、食事して店を出ようかという頃合いで、
『もし、良かったら付き合ってみませんか?』
アイドル級美女からの告白。
まさに、夢のようでした。
その日の夜、興奮しすぎて眠れなかったぐらいです(笑)
相手に、自分のどこが良かったのか、ストレートに聞いてみたところ、
『見た目と、雰囲気と、・・・』
やっぱり!
見た目を鍛えて良かったとつくづく感じました。
しかし、それがまた自分がワナにはまってしまうキッカケになったのでした。
恋愛の基本を忘れていた…
付き合い始めて1か月ぐらいはラブラブ、というより、
相手の気持ち>自分の気持ち
という関係をキープしていました。
しかし、1か月が過ぎて、サツキがひどく酔った時がありました。
2人とも電車でデートに来ていて、時間も遅くサツキも自力で問題なく歩けていたので、2人が分かれる分岐点の駅に来た時、自分は別方向だから帰ると伝えたところ、
『馬男さん、嫌い・・・』
と言って、突然泣き出したのでした。
普通の人なら何がダメか分かると思いますが、当時の私には分かりませんでした。
だけど、アサリの時みたいな失敗はもうごめんでした。
ただそれだけを思ってサツキとのデートを繰り返していたので、相手を気遣うことを忘れていたんです。
それを機に歯車が狂い出してすっかり立場が逆転してしまい、私がサツキの顔色をうかがいながらのデートを繰り返し、元々会話が苦手だったことも重なって日を追うごとにぎこちなくなり、サツキとの関係もだんだんギクシャクしてきました。
そして、付き合って4カ月が経とうとする頃、ちょっとしたことでサツキをたしなめたことがあり、それが決め手になってしまったのか相手が『別れたい』と言いだしました。
サツキ曰く、
『馬男さんからは、思いやりを感じない。』
でした。
普段から相手を思いやっていなかった上で叱ったわけですから、そこで終わってしまったのも必然だったんでしょう。
その頃、色んな恋愛の教則本を読んでいて、ノウハウコレクターになっていました。
なので、恋愛テクニックの知識はあったつもりです。
だけど、使いどころが間違っていたうえに、男女交際の根っこの部分を忘れていました。
思いやり
一言で表すとこれに尽きます。
サツキは最後に大切なことを教えてくれました。
8年前に失敗したアサリも、要因をたどって行きついた先は思いやりの欠如なのでした。
結婚後は亭主関白な家庭に!
サツキとも失敗に終わってしまい、その後も色々あって2年半後に結婚し今に至ります。
あれだけ恋愛ベタだった自分が、美女と別れて2年半のことでした。
普通に彼女を切らしたことのない男性からしたら、『時間かかりすぎだよ!』と思うかも知れません。
だけど、自分は隠キャでコミュ障、そしてガチアスペ。
しかも、その2年半の内にもうまくいった&いきかけた例が少なからずあります。
人間関係弱者の男がたった3年以内に色々動きがあったことは、もはや革命といえると思います。
亭主関白になれる条件
サツキとの別れが自分にとっていちばんショッキングだったので、彼女がのこした思いやりという言葉は今でも強く頭に残っています。
サツキと別れてから妻と結ばれるまでの2年半、『思いやりとは?』をいつも考え、
言葉なくとも相手のニーズが分かること
という答えを見つけ、
相手が求めるモノと自分が無理せず与えられるモノが合致していること。そして、その逆もしかり。
それが成り立つ関係こそが理想の男女・夫婦である
という最終結論にたどりつきました。
冒頭でも書きましたが、世間一般には『尻に敷かれる』など、男が弱い立場に成り下がってしまう関係が多いように思います。
だけど、杉間家は世間の常識からは外れた亭主関白な家庭です。
まぁ、ガチガチではなくマイルドですが。
なぜそうなれたのか?
妻はむしろ、SかMかでいえばSなほう。
- モノの言い方が少しキツい印象があって
- 主張もハッキリしているし
- 女性の割に決断が早い
バッチリSな部類です。
一般的にS女性は間違いなくかかあ天下や恐妻になると思われがちですが、私の場合、そうはならないだろうと確信していました。
それは、S女性ならではの弱点。
それを元々私は持っていたんです。
元々持っているってことは、決して無理をせず自然体であるということ。
言い方を変えれば、その元々持っていたモノが妻にとっては私からの思いやりになるのでした。
妻と知り合うまでも活動は続けていたので、自分の持っているモノに弱い女性像はある程度見えていて、妻がバッチリそれに当てはまっていました。
なので、自分が自然であればあるほど、妻は私を求めるのです。
最高ですよね。
それが思いやりを持った行動になるので、ふんぞり返っていても何も言われないし、好きなことをする時間もくれるし、趣味もやめなくていい。
何より、自分の意見が通りやすい。だからマイルドな亭主関白が成り立つ。
そして、私にとってもそれが妻から求めていることだから、私も決して与えっぱなしじゃないし、妻からももらっています。
それこそが、本当の意味でのお似合いかと思います。
たとえ子供を授かっても…
結婚して3年後に男児を授かりましたが、世間では妻が妊婦になるとさらに怖くなり、夫はまるで腫れ物に触るかのように接しているという話をよく聞きます。
だけど、赤ん坊ができても、杉間家の夫婦関係はいっさい変わることはありませんでした。
マイルドな亭主関白なまんま。
たとえば、男性の場合たまには飲み会やゴルフに行きたくなる人が多いですが、妻が大変な時期にそんなことしてる場合ではありませんよね。。
『本当は行きたい…』
その気持ちを必死でコラえているんですよね。
だけど、杉間馬男の場合、『酒も飲み会も嫌い!行きたくない!』です。
おまけに、集中して何かに取り組むのがすご~く得意だから、仕事はピカイチ早い。
だから、無理せず定時で真っ直ぐ帰宅できるんです。毎日。
家事をすること、妻のサポートをすること、別に行きたくもない飲み会に比べれば1,000倍以上もマシだし、しかも妻からの評価も上がる。だから、飲み会なんかよりもやりがいがあります。
これって、アスペルガーの利点だと思うんです。
悪いところも少なからずあるけど、良い面はとことん利用した例だと言えるでしょう。
そして、全然苦痛とも思わなかった妊婦との共同生活も無事に終えて、子どもが生まれました。
別の記事で、『杉間馬男は子どもが苦手』と書きましたが、さすがに自分の子供は別。
やっぱりカワイイんですよね。
だから、
できるだけ多くの時間を子どもに費やしてあげたくなる
↓
妻の育児負担が減る上に、子どもも父親見知りしなくなる
↓
そのうち、男の私でも育児に慣れてしまう
↓
妻・子どもからの評価が上がる
こんな感じで、好循環になったと思っています。
自分の趣味でさえサポートしてくれる関係に!
ちなみに、杉間馬男はバイクが趣味です。
ツーリング。
もちろん一人で。
見たことのない景色を自分の運転で、好きな時に休憩しながらバイクを走らせる。
至福の時間です。
妻も私の趣味を知っているので、GWやお盆、シルバーウィークになるとほぼ必ず言うんです。
『バイクでどこか行かないの?』
と。
そして、遠慮なく『○○行ってくるよ』というと、
『じゃあその日、おにぎりでも作ろうか?』
といって、持たせてくれるんです。
現地での食費浮きますよね。
大助かりです。
そういう関係も自分からの思いやりありきなんだなぁと思いました。
女性はマリア様ではないので、自分が何もしないのにここまで尽くしてくれることはあり得なかったでしょう。
女性を惹き付ける魅力は誰でにでもある!
ここまで話してきましたが、中には
『そんなドラマみたいな話、実際にあったとしても結局はそいつの才能でしょ?』
と思った人もいるかも知れません。
まぁ、アスペルガーも才能の裏返しみたいなもんなので”才能もある程度モノを言う”ということは否定しませんが、それと同じくらいに不利に働くハンデだってあるから、結局はプラマイゼロだと思うんです。
もしリア充で過ごせていたら、30歳まで童貞なんてことにはならなかったでしょうし(泣
また、このブログでは魅力の話もしています。
もちろん、記事に書いたことだけがすべてではなく、個々人の魅力は星の数ほどあるわけだから、どんな魅力も持たない男性なんて存在しないと思います。
究極を言うと、ホームレス。
彼らの魅力とは??
ズバリ!
野生の力
です。
カネに頼らず生き抜く力に長けているなんて、かなりすごいパワーだと思います。
だからといって、彼らのようになりたいとは思いませんが、今の魅力をキープしたまま新たな魅力として身につければ最強になれるなぁと思っています。
そんな感じで、女性をひきつける魅力は誰でも持っていると断言します。
杉間馬男がアドバイスした知り合いが躍進!
今でも一匹狼な私ですが、年に数回、集まって食事会をするメンバーがいます。
そういうイベントは本来ニガテなんですが、プライベートだし年に数回ってこともあるので、誘われて特に用事がなければ参加しているんです。
そのメンバーの中にいる、スミナリ(仮名)という男。
40代目前にして、いまだ彼女ができずに婚活続行中なので、毎度毎度、メンバーからはそれをネタにされていました。
- ルックスは平均以上
- 恋愛・結婚の願望はある
- 週1回ぐらいのペースで活動している
- 会話も上手いほうで場の主導権を握ることもある
私にしてみれば何の問題も見当たらず、むしろ、普通にしていればすぐに彼女ができてもおかしくないぐらいのスペックを持っていると思っていました。
あるとき、いつものように彼がネタにされていたとき、相手の女性とピン同士でデートしているときの様子を語っていました。
そこで私はピン!ときました。
大事なことが抜けている・・・
スミナリが上手くいかない謎が分かりました。
彼は、ごく一般的な男性がやっているデートの進め方を実践しているだけだったのでした。
その調子だと、数打てば当たるかもしれないけど、いつになるか分からない。
スミナリはリア充だから問題ないと思っていたけど、ちょっと他人事ではないと感じて口出ししてしまいました。
そこで私は、チャンスをうかがってスミナリに近づき、
『相手と○○ができているんだったら、△△してみなよ』
と、伝えました。
そしてその次に会った時、
『△△したぞ!■■(相手の女性の名前)のテンションも上がってた!』
と経過報告してくれたんです。
私が伝えたことは少々リスキーなんですが、ヒットすればその後深い関係になれる確率が上がる重要なことだったんだと確信しました。
そして同時に、それは変わり者だろうとリア充だろうと関係なかったんだということも、新たな気付きでした。
”長期間ひたすら行動することは間違い”の気付き
自分が何もしなくても求められる、それが理想ではあるんですが、それがいつも起こる話なら誰も苦労はしませんよね。
恋活・婚活、どれも”活動”って意味が含まれているわけだし、努力と行動が必要なのは間違いありません。
就活も就職”活動”ですから、経験した方は色々情報収集して努力したと思います。
ただ、就活に比べて数打てば当たるという現象が起こりにくいクセモノ。
それが恋活・婚活なんだと気が付きました。
先ほど出てきたスミナリも、まさにこのワナにはまっていたんです。
他にも、10年以上活動している男性が意外と多かったのには驚きました。
だから、ただただ時間をかけりゃいいってモンじゃないんだなと…
- 失敗したら何が悪かったのか
- もっと良いやり方はなかったのか
私のもうひとつの強みとして、探究心というのがあります。
小さいころから興味のあることには深入りし、『これって、なんでこうなっているんだろう?』いつも不思議に思っては親や周りの大人たちに聞きまくっていました。
くわえて、人一倍負けん気も強く、勝負ごとに負けたらなんで負けたのか?どうやったら勝てたのか?考えるクセがついています。
探究心と負けん気
この2つがあったおかげで、恋活・婚活が長引かなかったのだと思います。
理想の女性とは?
そして、もっともっと大事なことがあって、それは、
自分が本当に求めている女性像は何かをハッキリさせること
ということ。
えり好みというとそうかも知れませんが、決してワガママという意味のえり好みではありません。
しっかり自己分析し、パートナーとして欲しい女性を決める。
そうすることでダラダラとしたデートを省くこともできたので、時間を有効に利用することもできました。
なので、本当に求めている理想像は妥協すべきじゃないモンなんだなとつくづく思いました。
『ちゃんと、選ぶ権利を使って良かった』と。
ただ、多くの男性にありがちのは、
相手のルックスを求めること
です。
たしかに、それって正直なんですよね。
杉間馬男も例外ではなく、今でさえカワイイ女性を見ると振り返ってしまうこともあるくらいです(笑)
だけど、そういうのって長期的に求めていることじゃなくて、あくまでいっときの瞬間風速。
自分にとってドストライクなルックスの女性を見てしまうと、数日間はクギ付けになってしまいます。
でも、だんだん目が慣れてきて、ピークを過ぎるとちょっとした(見た目的な)欠点が目立ってくるようになり、
『よく見ると、微妙かも・・・』
と思ったことがほぼ毎回なんです。
そして、髪型を変えた等の変化があったときに、ストライクゾーンから外れてしまって気持ちが冷める(笑)
そして、冷静になれたときに考えると、『理想の女性はこの人じゃない』と気付けるんです。
活動を続けて、見た目だけで相手を選ぶのは危険なんだとあらためて思い知りました。
おわりに
色々話してきましたが、
友達や知り合いを含めて、色んなドラマを見てきた私が感じたことです。
このページだけで『考え方が変わった!』のであれば、それ以上に嬉しいことはありません。
最後まで目を留めていただき、ありがとうございました!