- 学校に行くのが辛い…
- イジメられているわけではないのに、イジメに遭っているような気分になる…
画面の前のあなたは今、もしかしたらそういう気持ちに包まれて身動きが取れない状態なのかも知れません。
その一方で、何とかしたい気持ちも持っている。
行きたくない気持ち VS 行かなければという気持ち
もし、あなたの中でこの相反する気持ちがケンカしているのであれば、その2つの気持ちを仲直りさせて決着をつけてスッキリさせたいところです。
今回の記事のテーマは”コミュ障”。
コミュ障の人って、何となくでも自分の悪さ加減は感じている場合が多いんです。
かなりざっくりしていますが、そういうことなんです。
人間は社会的動物ですから、コミュニケーションができなかったら命取りだと言ってもいいくらいです。
なので、この記事でお伝えすることは、
- コミュ障を少しでも改善して、上手く輪の中に入っていくか
- 苦手な場所から離れてしまうか
この2つです。
コミュ障の人が気持ち的にラクになれる方法は、おもにこの2通りなんです。
逆にいえば、その2通りのうちいずれかで行動すれば、あなたの気持ちは一層軽くなって周りの世界が変わって見えるでしょう。
そもそもコミュ障ってどんな人?
コミュ障とは”コミュニケーション障害”の略ですが、私の発達障がいのようにキチンとした診断名ではなくどこからか自然と生まれた造語です。
なので、医療機関にいって治療・支援をしてもらえる類のものではありません。
正式に病気とか障がいってわけではないので。
そしたら、どういう人のことを”コミュ障”と呼ぶのか?
コミュ障あるある
人と話す習慣がないので、日常の些細なことや感じた事を瞬時に言語化する癖がついていない、人と突如話さなくてはならない状況になった時にガチで困る— あかん (@_die_love) July 2, 2020
コミュ障は、隙間時間に周りと話をすることをしないので、Wikipedia、Twitter、Amazonは、コミュ障三種の神器を使って時間を潰してるんだよな。それに慣れてくると、仕事中でも三種の神器で時間を潰してしまい時間だけが過ぎるのを耐え忍ぶんだよな。
— 朝倉日記 (@Asakuranikki) July 6, 2020
どうやら、ネット上ではこんな風に↑↑ささやかれているようですね。
そういうのもあるんですが、私が思うにコミュ障とはもう少し意味が広いと思っていて、
- 話題はあるけど言葉がなかなか出て来ず、相手に伝えられない人
- よく噛んで(かんで)しまって、相手に何度も聞き返されてしまう人
- 興味のあることがごく限られていて、大半の話題についていけない人
- そもそも、話をすること自体好きではない人
だと考えます。
コミュ障特有の症状とかに限らず、単なる好き嫌いの意味も含まれていますが、総じてコミュニケーションが取れない・取りたくない・取りたいけど上手くいかない人のことをいいます。
ちなみに、私の場合は、
自分にとって、コミュニケーションを取りたい人と取りたくない人がいる。
要は好き嫌い。
好きなラーメンの中に嫌いな野菜が入っているようなものなので、すみ分けるのも面倒だから好きなはずのラーメンも食べない
という感じで、コミュニケーション自体が面倒だと感じているパターンのコミュ障です。
形はどうあれ、『自分はコミュ障だ!』と自覚している人たちにとっては何とかしたい気持ちがあると思うので、その方法論について次の章で説明していくことにしましょう!
世間のコミュ障学生は学校がつらい!実際の声
コミュ障すぎてつらいです。
学校に行きたくないです。仲良い人はいますが、いつも一緒にいる特定の1人がいません。
2人組つくれとか言われると毎回あまります。みじめです。
本当は極度の無口ですが、学校では無理してたくさんしゃべっています。
でも、ほんとうに面白い話がなにもできなくて、常に話題がないです。返しもつまんなくて、話を広げられません。
なので劣等感や「私なんて」みたいな気持ちが強くて、余計に人を避けてしまいます。
仲良い人でも2人きりだと緊張します。つかれます。3人以上なら勝手に会話が回っていきますが、2人だとそうはいきません。責任がのしかかります。
常に「違和感なくうまく返さなきゃ」「しらけさせちゃダメ」「つまらなくないか」など、正解を探してしゃべっています。
頭が真っ白、っていうか何も浮かばないんです。
話したいことよりも「話しているときの自分の話し方」や、相手の反応」、「不自然でなくかつ面白い会話のながれ」などを気にしてしまって、すごく疲れます。
ほぼ強制的にそういうことを意識してしまうんです。何回も治そうとしましたが治りません。
家族仲が悪いので家でも昔から喋りませんが、姉とは結構しゃべります。
学校では何も話したいことが浮かびませんが、姉としゃべっていると浮かびます。
でもそれは、「あれを言ったら印象が悪い」「これを言ったらどう思われる?」などを気にしなくていいからです。
それは学校だと無理です。他人ですし、自分をよく見せたい、嫌われたくないという気持ちは無くならないんです。
猫をかぶってしまうのをやめられないんです。それを簡単に無くせたら苦労しません。何度やっても無理だったんです。
学校に行くと自然と学校モードになって、家の自分なんて思い出せません。
こんな感じなので、誰とも本当の意味で仲良くはなれません。良いやつだけど変わりはいくらでもいるし、いてもいなくてもいい存在、みたいな認識だと思います。
先生と話す時も同じで、みんなみたいに上手く話せません。
会話が苦手なまま生きてきてしまった私と、普通に会話して成長しながら生きてきた人では、テンポも技術も違いすぎるんです。
慣れろと言われますが、毎回毎回緊張して疲れるだけで、何年も悩んでいますが全く慣れません。
このままじゃ一生私はつまんなくてみじめでいてもいなくても良い奴のままです。そんなの嫌です。
どうしたらコミュ障を治せますか?
(出典:Yahoo知恵袋)
コミュ障、不登校者です。学校に行くのが怖いです。
最近学校が楽しくなくて休んでいます。学校に行くのが疲れる、楽しくなくて、いっつもつらい思いを毎日していました。
いじめがあったりしていました。先輩にも昔いじめてきた人がいましたし、僕をいじめてきた人が二人も学校内生徒の中にいます。
4月で2年生になりますが、日直のとき何したらいいかもわからないし、小学校のとき友達になった人もいるけれど、その人ともあまり良く話せるわけでもなく、親友も数ヶ月前引っ越してしてしまったし、学校でわからなくても聞ける人がいないことの不安や、みんなの前で話すことが苦手ということもあり学校に行ける気がしません。
どうすれば学校に行けるようになると思いますか。根本的な問題で、僕が行こうと決断しなければ結局の所行けないということもわかっていますが、本当に度胸もないから、僕が学校にすぐ行けるわけでもないし、別室登校ならいけるかもしれないけれど、1年のときしていましたが、先生方に空いている人がいれば見てくれるといった感じで、すごく申し訳なかったし、あまり教えてくれてはいなかったし、そのもやもやするのが嫌だったし、親も僕の気持ちをわかってくれないし、あまりわかってくれなさそうでした。僕はどうすればよいのでしょうか。
新しい先生型にあまり迷惑もかけたくないし、でも僕の嫌な気持ちは変わらないし、毎日どう知ればいいか悩んで、時は金なりと言うし、悩む日々じゃあ無駄だし、人生はまたやり直せないし、楽しい学校の日々を送りたいけれど、結局は行けないくて終わりなんです。比較的家では話す方ではあるんですが、やっぱりみんなと話すのはなれてないからなかなか思ったこともはなせないし、結局どうすればよいのでしょうか。長い文章ですいません、(出典:Yahoo知恵袋)
学校がつらいです。
僕は今中学生で友達少なくないですが、孤独感を感じてしまいます。休み時間などに集団で話している場にいても、たまに笑いん取れる発言が出来ますが、それ以外は相槌をうっているだけか、その集団のなかにいるだけで孤立しているような感じがします。小学校の頃はこんな感じじゃなかったんだけどなぁと、思ったりしてます。それに中学生になってからなのですが、環境が大きく変わったせいもあるのかコミュ障気味で上手く話せない時があります。僕はこの今の現状を良い方向にしていきたいです。どうすれば良いかアドバイスをくれればさいわいです。
初めての質問なので不快になる点があったらすみません。(出典:Yahoo知恵袋)
一言で学校がつらいと言っても、色んな悩みがあることに私も気付かされました。
実際にいじめにまで発展している人とそうでない人がいましたが、どの人もそれぞれの理由でつらいと感じています。
生の声を3人分紹介しましたが、学校が辛い理由をまとめると、
- 本当は話すことがないのに、無理して話すのがつらい。
- 周りに合わせようとするあまり、余計に不自然になるのが分かっていることがつらい。
- 日直とかみんなの前で機会が苦手。
- 進学して環境が変わり、うまく話せなくなった。
特に環境が変わったことがつらさを引き起こしているというのは私も経験があり、このあとでその体験談を交えて話していきます。
そして、先ほど挙げた理由をさらに1つの言葉に集約すると、
周りの人と住む世界が違うと感じていること
ではないかと思います。
- 本当は話すことなんてない
→自分の話なんか興味がないだろう。もしくは、周りの話に興味がない。共感できない。 - 周りに合わせようと不自然に
→そもそも、自分が周りの世界に適合できているなら”合わせよう”なんて思わないはず。 - みんなの前で話せない
→自分の話し方や言葉選び、声のトーンまで違うだろうから、受け入れられるかが不安。
”受け入れられるか?”と考えている時点で、周りと住む世界が違うと感じている。 - 環境が変わって話せなくなった
→それまでの環境は自分の世界と合っていたけど、合わない環境になってしまった。
このように、全ての理由がそこにたどり着くわけなんです。
なので、コミュ障の人たちが学校でのつらさを和らげるには、冒頭で書いたとおり、
- コミュ障を少しでも改善して、上手く輪の中に入っていくか
- 苦手な場所から離れてしまうか
しかないのです。
次の章では、いよいよその2つの方法論について説明していきます。
コミュ障の学生がラクになれる方法2選
校内でのわずかな居場所を見つける
コミュ障の学生がラクになれる方法論
この章では、その一つ目をお伝えします。
コミュ障だけど、何とかそれをごまかす・・・ではないですが、少しでもマシな方向にコマを進めるというやり方です。
結論から言うと、自分の味方探し・居心地のいいグループ探しです。
私がイジメに遭っていたのはせいぜい高校生ぐらいまで。
それも、陰口とか後ろ指ぐらいの軽いものでした。
まぁ、暴力とかハラスメントになってしまうと校則に触れるから、そこまで発展しなかったというのもあったでしょう。
高校を卒業後はまた進学しましたが、高専(高等専門学校)の4年生に編入学したんです。
ふつうは中学卒業後に1年生として入学し、卒業すれば短大卒の資格がもらえます。
いわゆる高校と短大がドッキングしたもので、中学卒業後5年間通います。
高専は工業系で、機械・電子・建築・化学・・・などなど、私が通っていたところは各学科で1クラスだけなので5年間ず~っと同じクラスメートと過ごします。
なので、4年生から入学となると完璧にアウェー!
すでにグループができているところに放り込まれることになったんです。
その頃からすでに人と話すことに苦手意識があったので、入学の日が近づくにつれて不安な気持ちがふくらんでいき、前日2日目ぐらいには吐き気をもよおし嘔吐が止まらなかったことがありました。
入学当日も吐き気をガマンして新しい学校へ向かったのを、今でも鮮明に覚えているくらいです。
そして、クラスに案内されたときにイヤな予感は的中し、大半の学生が茶髪・金髪で服装もラフ、まるで不良校みたいな雰囲気でした。
もう帰りたい・・・
本当にそう思いましたね。
だけど結局はみんな良いヤツらだったんです。
自分も含めてみんな工業系志望だったし、高専って中学から受験するにはわりと偏差値高めなので、怖かったのは外見だけだったんです。
だけど、コミュ障な自分はなかなか輪の中に入れず、入学して半年ぐらいはこんな感じだったんです↓↓
みんな受け入れてくれようとしているのに、入っていけなかったんですね。
それこそ
好きなラーメンを出してくれているのに、
『もしかしたら、苦手な野菜が入っているのでは??』
と疑ってたんです。
入学して半年と言いましたが、半年経った頃に転機が訪れました。
クラスの中で、『なんとなく、コイツ(俺にとって)苦手そうだなぁ~』と思っていた男が、体育の授業中に話しかけてくれたことがキッカケで自分のほうからも話をすることができ、そこから仲良くなっていきました。
高校卒業後、高専へは2年間通いましたが、学校の外でもカラオケや食事に行ったり、結局クラスメートの中でいちばん仲良くしていたのがその男のいるグループだったんです。
この経験を通して分かったことが、
と思っていても、それはたいがい自分の中で勝手に決めたこだわりに偶然外れていただけ、というのが多かったんだな。
だけど、実際は意外と(?)話しやすい人が多かったんだ。
ということです。
できるだけ頭をフラットにして人と対峙(たいじ)することが大切だったんだと感じさせられました。
例えば、
- 茶髪に良いヤツなんていない!
- ピアスしてるヤツは不真面目!
など、外見だけで判断してしまうのはよくあるパターンですね。
そういうのも結局は、その人を見ている色眼鏡になっているわけなんです。
赤い色眼鏡をかければ景色は赤く見えるのと同じように、”茶髪に良いヤツはいない”の色眼鏡をかければ茶髪の人に対する偏見が生まれます。
そして、彼(のグループ)と仲良くなれたのは次の2つの要因だったように思っています。
1つ目は、高専という学校自体がチョット特殊で、自分がいた学科は電子系。
ITとかコンピュータを学ぶところで、いささか失礼ですがいわゆる”オタク”が多かったところだったのが理由だったのかも知れません。
仲良くしていたグループはガチのオタクというわけではなかったんですが、普段勉強してたことがそっち方面だったので、普通の人とは少し隔たりがありました。
オタクとコミュ障
形は違えど一般人とは違う者どうし分かち合えた何かがあったのだと思います。
2つ目は、おこがましくも書かせて頂くと、自分の行動力だったと思います。
苦手だと思っていた男が話しかけてくれたとき、『これはチャンスだ!』と考えられたのが勝機だったのでしょう。
- できるだけ愛想よく
- 相手の話を広げて
- 自分からも話題を振る
これらを意識して、せっかく近づいてきてくれた相手を離さないようにしたわけです。
ここに書いた行動は、相手に警戒していないことをアピールするものになります。
自分があまり人と仲良くなれない原因は、この警戒心がいちばんの理由だったように思うので、それを外せるキッカケを見つけて行動できたことは良かったのではと考えています。
経験談が長くなりましたが、結局はコミュ障でもどこかのタイミングで誰かと仲良くなれる転機はきます。
それを感じ取ったら、絶対に逃さないことです。
どうしても辛ければ、学校に行かなくてもいい
校内にわずかな居場所を見つける。それでもなかなか上手くいかないこともあるでしょう。
ならばいっそのこと、学校をしばらく休んだり、転校したりするのもアリだと思います。
最近だと、子供のメンタルケアが手厚くなってきていることもあり、普通の学校に行きづらいときのフリースクールも充実してきています。
さすがに学校を変えることになるので、親や先生への相談が必要になってきますが、思い切って環境を変えてしまうことも立派な作戦です。
自分自身ではないですが、今度は私の妹の例です。
小学校から中学校に上がるタイミングで運悪く杉間家は引っ越しをし、隣町ですが小中学校の校区が違うところに転居したのでした。
前節の私の高専進学の例と同じですが、妹が出身の小学校が通う中学校ではなかったので妹は完全アウェー。
小学校からの知り合い・友達が全くいない状態ですでにグループの出来上がっているコミュニティへ放り込まれてしまったのでした。
4月入学~夏ごろまでは頑張って毎日通っていたのですが、ある時からグズりがちで時々休むようになり、秋の体育祭の自主練習をブッチしてしまったことを機にクラスメートから仲間はずれにされ、それ以降不登校状態になってしまいました。
それが2年生の前半ぐらいまで続いてしまって成績もガタ落ちし、先生も家庭訪問して妹から全て話を聞き出しました。
杉間家の親(特に父親)は結果重視型なので、ちゃんと学校に通っているか/いないかで善し悪しを判断しがちで、妹も我々兄弟もそれを分かっていたので普段学校で何が起きているのか話をするようなこともありませんでした。
なので、不登校=悪と考えていた父親は話を聞こうとしなかったので、家族全員何がキッカケだったのか初めは分からなかったのです。
そういったことも全て担任に打ち明けて、3年生からはクラス編成を考慮してくれることになりました。
唯一部活で仲良くしていた友達が1人いて、彼女と同じクラスになったことで3年生からは毎日通えるようになり、徐々に友達・味方も増えていきました。
妹はコミュ障ではないですが、アウェーな環境には極端に弱くおさまりかえってしまうところがありました。
しかし、慣れてしまえば勝ちといった感じなので、1人でも仲の良い友達ができるとそこからどんどん広げていくことができ、普通の学校生活を取り戻したのでした。
多少、高校受験で手こずったところもあったものの無事に学力レベルに見合った所に進学し、そこなら全員イチから人間関係を作り上げるのでアウェーも何もなく問題はありませんでした。
辛ければ休んでしまう。
休んで、学年が変わる頃に環境を変えて日常を取り戻せた実例を紹介しました。
妹の場合は特に何もなかったのてすが、そういう行動を【逃げ】だと批判する人も中にはいます。
人間、言葉でも暴力でも、他人を攻撃することが最大の防御です。
そう言ってくる人は、臆病者や自信のなさの現れですから、いちいち気にしていると日が暮れます。
繰り返しますが、環境を変えることは【逃げ】ではなく【作戦】ですから、堂々と実行しちゃいましょう!
この記事の本題はここで終わりですが、やっぱり根っこの部分はあなたの気持ちの持ちようなんです。
考え方を変えるということは、先ほどの色眼鏡をかけ直すことになるので、今まで見ていた世界が全く違って見えてきます。
その気持ちの持ち方について、次の章で説明していきます。
コミュ障の学生のための気持ちの持ちよう
学校生活は期間限定
コミュ障に限らず、学校が辛いと感じている人は、まるで学校が人生のすべてだという風に考えがちなんだと思います。
しかし、人生80年ないし100年と言われる中、学生生活なんてそう長くはありません。
小中高大あわせて16年間。
いちばん長い小学校でも6年間です。
人生死ぬまでず~っと続くわけではありません。
そして、小中学校は義務教育ですから最低限卒業しておかないといけないのは確かですが、どこの学校を卒業するかまでは縛られていません。自由です!
転校するのもアリだし、フリースクールに通って小中学校卒業の資格をもらうのも手です。
いずれにしても、
いつかは終わりが来るもの
と考えれば、少しは気がラクになれるでしょう。
相手に気を遣いすぎる必要はない
人と関わることがしんどいと感じている人の中には、相手に気を遣いすぎて自分の神経をすり減らせているパターンがあります。
特に、『自分はコミュ障だ』という自覚があると、それを治そうと躍起になって必要以上に相手に気を遣いすぎる。
やがて、自分のキャパの限界を超えてしんどくなる、という流れです。
私も多くのコミュ障と関わってきましたが、自覚している人はたいていそういう風になってしまっています。
その相手があなたにとって命の恩人レベルの人なら話は別ですが、必要以上に相手の気持ちを考えようとしなくても大丈夫です!
- 明らかに敵意むきだし
- 言葉遣いが雑
- 無礼・失礼
そういうことをしない限り、相手があなたを嫌うことはないと思って良いでしょう。
落ち込むことは成長の証
コミュ障を克服しようと、あらゆる行動を起こしてきた。
なのに、人間関係が上手くいかないのは変わらない…
もっというと、この記事の前章で話したことを実践しても、しばらくの間全く何も変わらないことだってあるでしょう。
そうなった時、ひどく落ち込んでしまう・・・
私は臆病な人間ですから、落ち込むことが分かっているのでそもそもチャレンジしないことが非常に多かったです。
だけど、ここでよく考えてみてください。
逆に落ち込まない場合って、『どうでもいい』と思っているときなんですよね。
決してその人のメンタルが強いわけではなく、ただ単に真剣に取り組んでいなかっただけ。
私も学生時代、社会科が苦手で興味もわかずテスト前になってもあまり真剣に勉強しなかったので、良い成績を取ることができませんでした。
だけど落ち込まなかった。
『別にいいや!』
と思っていたからなんです。
落ち込むということは、真剣に取り組んだから。
その上で結果が出なかったら、そりゃ落ち込みますよ。
当然です!
人間が変われるときは、心底自分が変わろうと思った時だけ
どこかで聞いた言葉です。
※どこで、誰が言ってたかは忘れましたが。。
落ち込むってことは、自分を変えたいという気持ちが強かった証拠!
つまり、落ち込んだ時点で前に進んでいるということなんです。
コミュニケーションは”考える”ものではない!
最後に、コミュ障を自覚している人のうち、それを克服するために具体的に行動を起こしている人は色々と勉強しまくっていると思います。
私も会話に関する教則本を読み漁ってきたし、話し方教室にも通ったことがあります。
だけど、見出しに書いた通り、コミュニケーションって考えるものではないんですよね。
資格の勉強やテスト勉強をするのには考える力が必要ですが、コミュニケーションってそもそも意思疎通ですから、あなたと相手の意思を交わし合うのが基本です。
相手を慮る(おもんばかる)気持ちは大切なんですが、いちいちセリフを発するたびに考えすぎると余計に不自然になってしまいます。
まとめ
学校が辛い・行きたくないと思っているコミュ障の人へ向け、気持ちがラクになれる方法をお伝えしてまいりました。
その2つというのは、
- 今いる集団の中で味方を見つける
- 思い切って環境を変える
でしたが、本当に効果てきめんなのはこれだけだと思います。
ただし、どちらも行動力は必要です。
何もしないで自然に…というのがあれば苦労しませんが、やっぱりキッカケをつかむためにそこは一肌脱がないとですね。
そして、行動力よりもさらに大切なのが考え方になるわけで、コミュ障の人に意識してもらいたいのが、
- 学校生活は期間限定
- 相手に気を遣いすぎる必要はない
- 落ち込むことは成長の証
- コミュニケーションは”考える”ものではない!
ということです。
行動し始めのうちは上手くいかないことも多いでしょう。
根気よく、かつ気張りすぎずに構えていれば必ず突破口は見つかるでしょう。
ここでお伝えしたことが少しでもあなたのお役にたてれば、それ以上に嬉しいことはありません。